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西ヶ原二本榎自治会のあゆみ

昭和初期、東京が都になる前の市であり、更に北区が瀧野川区と王子区の 二つの区に別れていた時代、当自治会の前身は東京市瀧野川区の一部の 三町会でした。

 昭和12年7月7日の藘溝橋事件をきっかけに始まった日中戦争最中の、 昭和12年8月24日国民精神総動員法実施要綱が発布され、銃後の備えとして 大政翼賛会が結成されました。

その指令により町内会も地方行政機関の一部に組み込まれ、この地域にあった 互親会・親睦会・公睦会の三町会が合併し「西ヶ原二本榎自治会」が 隣組50組を傘下に結成されました。

 尚、当自治会の発祥記録として、祭礼用の備品を入れる大箱の箱書きに大正5年 謹製の文字が記されており、昭和12年より遡る事二十余年前に町会組織に 準じた会があったことが察せられます。
自治会名になっている「二本榎」は、滝野川警察署前にある旧日光御成道の 西ヶ原一里塚が各街道の起点である日本橋から二里目にあたり、その塚に 二本の榎が植えられていたことから「二本榎」と名付けられました。

西ヶ原一里塚hp.jpg西ヶ原一里塚は江戸幕府によって設置され、 当時のままの位置に現存する都内唯一の 一里塚で、大正11年3月8日に国指定 史跡に指定されました。 その塚には、「二本榎保存の碑」という 大正5年6月に作られた記念碑があります。(写真は北区ホームページより)
 これは当時、西ヶ原一里塚が東京市電の 軌道延長線上にあり、道路拡張工事に伴い 撤去されそうになりましたが、当自治会に 住まいを置く渋沢栄一子爵や地元住民の 運動により保存に成功したことを記念するものです。

 当自治会が出来て6年後の昭和18年7月1日に東京市は東京都になりました。 さらに、4年後の昭和22年2月25日に瀧野川区と王子区は合併され北区に なりました。

 「西ヶ原二本榎自治会」という名前は、北区さらには東京都より古くからの歴史 ある自治会名であり、昨今町名や丁目などの住居表示を自治会名にするところが 多くある中、この自治会名を大切に後世に受け継いで行きたいと思います。