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上中里貝塚町会の歴史/あゆみ

1.1 地名「貝塚」の由来

我が町はJR東北線と京浜東北線に挟まれ、尾久操車場が隣接地となる地域で縄文時代中期の貝塚遺跡が存在しこれが地名の由来となっています。

平成8年に第一次遺跡発掘調査、平成11年に第二次遺跡発掘調査が行われ貝層の広さは長さ1Km、幅70~100m、深さ2~4mと推定されています。これはほかの貝塚と比べ桁違いの規模であり日本最大級のものと思われます。

貝の種類は大型のハマグリとマガキの2種類で縄文時代中期後半の500年ほどの間に交易用として集中的に形成された大規模な貝加工専用の作業場と見られています。まさに縄文時代の文化の状況を伝えており貴重な遺跡といえます。

また、第一次遺跡発掘現場には、平成8年11月13日に天皇陛下の行幸啓を賜りました。

1.2 上中里貝塚町会の創立まで

戦前・戦中
関東大震災を契機に、物資の配給、救護、自警などを目的に各地に町会が設立された。

昭和6年の満州事変以後、次第に軍事的要素が濃厚となり、隣組制度の発令とともに従来の親睦団体ではなく行政の出先機関とされ区長の命令で活動するようになった。

戦後
占領政策により、町会隣組制度は廃止になった。しかし、町会の解体に伴い自衛の警備、衛生管理などが滞り夜盗の横行、伝染病の発生など住民の困難が多く続いた。

昭和23年に地方制度改革に伴い、生活物資の配給を行うため近隣旧5町会は合同で中和自治会を結成し生活物資の配給のほか防犯、防火、衛生などの活動を行ってきた。

戦後復興が進み食料事情も好転し生活物資も配給制度にたよる必要がなくなってきた。このことでそれぞれの町会は自主運営をする気運が高まり昭和27年に中和自治会を解散し各地域ごとの自治組織を結成することになった。そして昭和27年6月に「上中里貝塚町会」が誕生した。

近年
平成21年4月に認可地縁団体として北区に認可され法人登録された。このことで町会事務所の土地・家屋などの資産保有が可能となりました。 

1.3 町会活動の目的

町会会員の自治精神に則り、隣保互助を基調とし、会員相互の福祉の増進と親睦ならびに文化生活の向上を図る

1.4 町会の主な事業

ア) 福利厚生、青少年指導育成に関する事項
イ) 防犯、防火、交通安全に関する事項
ウ) 保健衛生に関する事項
エ) 非常災害に関する事項
オ) 各種団体との協力、折衝に関する事項
カ) 会員の表彰、慶事に関する事項
キ) 中里史跡広場の管理(北区からの委託)
ク) その他町会の目的達成に必要な事項