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東金町中央自治会のあゆみ

  1. 葛飾区の誕生
    昭和7年に、江戸川・足立・城東・向島・荒川・滝野川・王子・豊島・板橋・淀橋・中野・杉並・渋谷・世田谷・目黒・荏原・品川・大森・蒲田と共に葛飾区が誕生しました。
    東京市は、従来の麹町・神田・日本橋・京橋・芝・麻布・赤坂・四谷・牛込・小石川・本郷・下谷・浅草・本所・深川の15区と合併して35区を擁する大東京市となりました。

  2. 東金町地区の誕生前の金町地区
    当時の金町は、常磐線の南側に1丁目、2丁目。3丁目、4丁目は常磐線にそれぞれ二分された形で両側に、5丁目、6丁目は北側に位置しており、当自治会は旧金町5丁目にあたります。

  3. 町会の結成
    旧金町5丁目町会は、昭和8年4月に結成、会員数100の記録が残っていますが、単なる親睦団体としてでなく、特に昭和12年7月の日支事変勃発により戦時体制に入ると、国民組織として町会を数群に分け隣組を設け、政治的に利用される事となりました。
    昭和18年には、町会区域の整理統合が行われ、7月の東京都制施行後も町会の役割はかわらず、戦争に巻き込まれて行きました。
    この整理統合によって金町5,6丁目町会が出来、東金町中央自治会の基礎(中央地区と半田地区)が出来たと思われます。

  4. 戦後の混乱期
    昭和20年8月15日の終戦により占領軍から戦時体制の行政組織の末端であった町会の活動禁止が命じられ、昭和22年には廃止されたとされます。
    しかし、同年にはカサリーン台風の大水害があり、犯罪行為の頻発などを背景に葛飾区では防犯・防火を名目とした町会のような組織がありました。

  5. 新しい住居表示
    従来の住居表示は、町名番地によっていたので日常生活に支障をきたしていました。
    昭和37年5月「住居表示に関する法律」が交付施行され、葛飾区では昭和38年から昭和56年にかけて事業を完了しています。
    東金町地区は昭和41年に施行され1丁目から8丁目までとなりました。

  6. 東金町中央自治会の発足
    昭和41年(1966年)4月東金町3丁目24番~41番 392世帯
    東金町4丁目8番~41番 557世帯が東金町中央自治会として発足しました。

  7. 東金町半田自治会との分離
    昭和60年(1985年)に行政区画の変更があって第12出張所が無くなり、東金町3丁目は金町地区となって金町出張所、東金町4丁目は東金町地区となって東金町出張所関連となったため、東金町4丁目地区は東金町半田自治会として分離する事になりました。

現在の東金町中央自治会は昭和60年4月1日より東金町3丁目の一部と1丁目の一部の、381世帯で発足致しました。

11月3日には、第一回家族大運動会を大人100名、子供70名参加により盛大に行いました。(文責 野口)

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