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本町上町会のあゆみ

本町上町会の歩み

昭和29年
   同年3月板橋十丁目上町会自治体として発足。
   会費1口40円也。当時町会行事は街灯の増設管理が主体で
  夜の防犯及び青少年の育成と不良化防止にと活動が目立った。
   但し発足当初の為町会財政面が不十分で微力であった。しか
  し町会旗と天幕一張を新調した。
   尚、祭礼を町会行事と定め、花井敏夫氏を氏子総代として
  それに対応した。
   また、制定により町会変更があり、坂町と協議、話し合いの上
  昭和31年に本会を本町上町会と改称する

昭和33年
   同年9月台風による大洪水で石神井川が大氾濫し町内低地帯
  は多数の床上床下浸水被害を受け被害者多数が板橋第三小学校
  に非難し、町会は役員などを動員して炊き出し及び被害地の
  消毒を実施した。

昭和34年
   子供神輿が1台の為、私設神輿が盛んであり役員の中でも町内
  神輿の不足を訴える者が多かった。
   早速、岩田英二氏、星川敏夫氏の両氏が発起し購入方法を力説
  し役員会に於いて、2台購入を決定した。
   代金は町会費より捻出する。
   境五作氏より、表裏各御酒所に神輿を2台づつと、進言があり
  役員会の結果、会長も進んでこれに賛成し購入した。  
   代金は町会費より捻出する。

   当時町会には空き地、及びどぶ川が多数ありゴミの不法投棄に
  より悪臭で困り、区へ請願書を提出してその処置を願った。
   区より人員を動員、町会役員等でこれに対処した。 
  
昭和38年
   同年秋にまたまた大洪水に見舞われ、石神井川の氾濫で町内低
  地帯に多数の床上床下浸水被害を受けた。

昭和39年
   たびたび続く石神井川の大小の水害に、住民は雨が続くと心配で
  怯えるような状態になり、特に1番地、5番地、28番地、29番
  地、41番地の住民はちょっとの雨でも安心できなかった。
   そこで、星川会長が先頭に立って、当時区議の高木栄三氏、
  小須田辰雄氏と共に石神井川改修工事の促進について何度となく
  都及び区へ出向いて請願しその間には町会としても幾多の苦労を重
  ねてきました。現在は立派な堤防と遊歩道も完成し被害も減少した。

昭和41年
   星川会長は町会の親睦をはかる意味で日帰りのバスハイクを計画し
  観光バス7台を連ねて笠間、筑波方面で釣りや花摘み等楽しい1日を
  過した。

昭和42年
   同年5月役員会で田中レントゲン会社(現、本町児童遊園)の敷地
  跡が売りに出たことを知り、早速同地を子供達の為の公園にするよう
  促進運動を計画することを決定。
   地元区議の高木栄三氏、小須田辰雄氏の力添えと岩田会長をはじめ
  とする役員地域住民の協力により昭和44年4月区立板橋児童遊園
  として完成した。

昭和44年
   同年4月総会席上に於いて大人神輿の借入を決定。
   9月の祭礼には、盛大に神輿御渡が行われ、以後新しい大人神輿。
   これが現在の楽しい賑やかなお祭りにつながった。

昭和44年
   役員会、理事会により同年11月から町会費1口70円となる。

昭和45年
   子供用1号神輿破損のため新調した。
   代金は町会費より捻出する。

昭和46年
   おはやしの道具を購入し青少年部委員より選出して上町おはやし
  連を編成した。同年町会旗がだいぶ傷んだため注文新調した。
   また天幕一張を張り替えた。
   同年7月旧中仙道にかかる板橋が新しく完成し、区主催の行事と
  して万灯提灯行列が板橋第三小学校鼓笛隊を先頭に約三千人が参加
  して行われ体育館にて式典を挙行、地元町会として多数が参加した。

昭和47年
   岩田会長の念願である大人用神輿新調のため、融資による神輿
  新調促進会を発足し会長自ら各所を訪ね見た上で、宇都宮の神輿店
  に町会より注文した。

昭和48年
   同年に新調した神輿の引渡しがあり、氷川神社に於いて御霊入れ
  を行い、上町会おはやし連を先頭に町内一巡披露し、板橋第三
  小学校体育館にて促進会より町会への寄付式典を行った。

   同年10月に板橋第三小学校に於いて町会創立20周年記念
  祝賀会を挙行した。その後町会行事も恒例により大過なく行って
  きた。祭礼には大人神輿を中心に6台の神輿、花車、おはやし、
  万灯行列などで昼に夜にと益々賑やかに楽しくしかも盛大に
  続けられている。

昭和51年
   4月、区より地域防災のための初期消火用機動放水ポンプが配置
  され、細井伊佐美を隊長とした区民消火隊を結成した。

昭和54年
   五十嵐泰之助氏が会長に就任。
   54年3月末日満12年6期の長きにわたり町会長として努めて
  頂きました岩田英二氏が退任され五十嵐泰之助氏が会長に就任。

昭和55年
   定期総会にて町会費、行く地1口100円也に決定した。

   同年12月、前会長岩田英二氏は会長時代の功績により区功労者
  として表彰された。

   同年12月、1号神輿飾り棒を新調する。

昭和58年
   倉持区議の力添えにより、区防災課は上町会防災倉庫を児童公園
  内に設置。
   尚、数年前より石神井川改修工事による旧河川が空堀りになって
  いたため、子供が落ちる事故や悪臭が漂うようになり、都及び区へ
  早急に埋立てるよう請願書を提出する。

   同年12月、河川跡は石神井川緑道として完成し、地域住民の
  散歩道となりました。現在は地下鉄の湧水を利用して小川が流れ
  鯉の泳ぐ姿も見ることが出来る公園となった。

昭和60年
   同年4月、里見正夫氏が会長に就任。

昭和64年
   1月7日、天皇陛下が崩御され、年号が平成と改められる。

平成元年
   板橋区民祭りに。上町会の仮装行列、水戸黄門の扮装等で行進に
  参加した。平成3年の歴代区長の扮装行進も思い出されます。

平成4年  
   6月7日、板橋第三小学校校庭にて町会役員及び青少年部が主と
  なりリレーマラソン大会を実施。校庭に100メートルの周回コー
  スを作り、ひとりが100メートルづつを走り、バトンタッチを
  しながら、42.195キロを422人が走りきり完走しました。
   走者は走る前に自分の100メートル送の予想タイムを申告して
  から走りピタリあたればピタリ賞で、ピタリ賞を取った人が11人
  もいました。
   リレーマラソンの総合タイムは3時間6分48秒であった。

平成5年
   2月21日、青少年部主催のスケートそり遊びを実施。
   当日は晴天で富士山の麓、裾野の日本ランド(スケートリンク
  とそり遊びのゲレンデ)に55名の参加者があり、バス1台で
   行き怪我も無く全員無事で帰宅することが出来た。

平成5年
   同年4月、加藤駒吉氏が会長に就任。

平成6年
   同年1月、上町会創立40周年式典を板橋第三小学校体育館にいて
  来賓及び招待者を含め総勢200名を超える参加を頂き盛大に挙行
  された。

平成10年
   同年4月、津田留治氏が会長に就任。
   定期総会にて町会費を1口200円に決定した。

平成11年
   同年4月、飯塚善助氏が会長に就任。
   本町児童公園内の本町集会所が老朽化のため取り壊しとなり、町会
  としても役員会の周回場所に困り、都民銀行や巣鴨信用金庫の部屋を
  借りて行ったこともあり大変であった。
   飯塚会長はじめ町会役員が区へ陳情し、又、本町自由クラブの西沢
  博雄氏のご協力により平成13年に本町集会所が本町20番地に新設
  され多いに利用されている。

平成14年
   同年4月、板橋第三小学校が少子化に伴う児童数激減により、区の
  方針等で統廃合の対象となり、上町会会長の飯塚善助氏、坂町会会長
  の小泉隣太郎氏中心となり、話し合いの結果、板橋第三小学校と稲荷
  台小学校が統合され、稲荷台小学校が加賀小学校となった。
   地元の子供たちも元気に小学校に通っている姿が見受けられる。