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柴又北野町会 町内のうつりかわり

昭和3年10月 新宿第2耕地整理組合(大正15年設立)事業完了、字名を東住吉矢付、地頭田、第六天前、鷹野堤とし、田畑の多い碁盤の目のような道路完成。
昭和4年1月 東住吉と住吉(現高砂)が合議して住吉町会創立。区内31番目、202世帯の町会。
昭和7年10月 市郡併合により東京市実現、世界第2の都市となる。(旧東京府南葛飾郡新宿町)字名を廃止。丁目ごとに分割、新宿3丁目、新宿4丁目町会出来る。9月に住吉尋常小学校が設立された。
昭和9年 高砂橋完成。曲金の渡船廃止。11m都道が高砂駅東側に計画されたが、陳情により現在のバス通りになる。新宿金町土地区画整理組合設立。金町公園と現京成バス車庫敷地に小学校建設を計画したが、14年公園だけ完成。
昭和12年 日華事変から大東亜戦争へ、町会は隣組制度を強化、戦時体制となる。
昭和19年 金町消防署新宿出張所建設。
昭和20年 2月大雪が降った翌日B29(爆撃機)の空襲にあい焼夷弾が落とされ良寛寺をはじめ町内に火災被害が発生。終戦によりGHQ命令で町会解散。22年には新宿4丁目町会解散。
昭和22年 5月亀有警察署防犯支部発足、支部長に解散時の髙田幾久蔵会長が就任。
4月統一地方選挙。町内から初めて二人、区議会議員当選。9月カスリーン台風による水害。押入れ付近まで浸水、舟で物資配給、牛車で慰問品を配給、後始末に半年を要した。
昭和23年 区内に日本脳炎大流行。保健所衛生会結成。衣料切符、米穀通帳で米20日分配給。日枝神社より古録天神社独立、講元は山勝一郎氏、髙田幾久蔵氏、山勝常次郎氏の順となる。8月、町会巡査派出所(1丁目13番6号のサロン・ド・さなだ)が一般寄付により完成。
昭和24年 町内に6軒の商店が新宿4丁目商店会(魚・肉・八百屋・乾物・菓子・牛乳店)として開業。現在柴又一丁目商店会として古録天通り商店会と共に盛況。
昭和27年4月 講和条約で独立国家として、町会も日の丸掲揚を認められる。
昭和28年 北野小学校が住吉小学校の分校として建設される。
昭和30年 古録天神社前より消防出張所(現在の青和信用組合柴又支店)まで区道拡張工事(最初6m幅)なる。
昭和35年 地主、網代兼光氏の好意により、会員の寄付で新宿4丁目自治会と称する会館が完成した。
昭和42年8月 住居表示制度により町名変更、柴又1,2,3丁目となる。新宿、柴又と意見対立、本部役員総辞職。
昭和42年9月 会員のアンケートにより柴又北町会と改称。柴又一郵便局開設。
昭和42年10月 ガス導入組合をつくりガス普及。町内に東京ガスサービス店(現葛飾ガス住宅設備機器㈱)開業。
昭和43年 北野神社(柴又3丁目13)が移転、古録天神社境内にまつられる。
昭和44年 北野町会と改称。
昭和47年 柴又病院跡地にボーリング場ができる。(現柴又地区センター)
昭和49年 地主、網代兼光氏の好意により、柴又敬老館、児童館、学童保育クラブが落成。
昭和52年7月 町内に初めて都議会議員(髙木四郎氏)誕生、区議補選で山勝卯三郎氏が当選。
昭和56年7月 木村陽治氏、都議会議員に当選。
昭和56年12月 下水道工事の本管が完成、57年8月より町内の工事を開始。水洗トイレへの生活が期待される。
昭和57年11月 町会発足50周年記念式典を開催。(北野小講堂)
昭和58年4月 橋本 裕氏、区議会議員に当選。
平成元年9月 町会会館が新築、落成。
平成4年11月 町会発足60周年記念式典を開催。(町会会館)
平成12年 国会で活躍中の平沢勝栄衆議院議員が当町会に居住され会員となる。
平成15年8月 古録天神社の新社殿が竣工落成、天満宮北野神社と矢付稲荷神社が合祀された。
平成15年11月 町会発足70周年記念式典を開催。(町会会館)
柴又二丁目公園完成。
平成17年7月 町会組織を法人化認可。
平成22年6月 町会会館事務所改装。
平成22年9月 柴又三丁目に金町消防団第8分団格納庫竣工。
平成23年3月 東日本大震災発生するも地域内の被害僅少。
平成24年5月 柴又北野町会と改称。
平成22年12月 東京都地域防災力向上モデル地区に選定される。

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