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千住元町町会略史

◇元町のなりたち

昭和6年(1931)1月1日、当時の「千住町」では、町名地番の改正が行われた。もともと千住三丁目、四丁目、五丁目のいわゆる飛び地であった元宿耕地の全部、金仏耕地・川田耕地の一部をあわせ、元宿と称していたが、「元町」とした。

元宿は、千住町開拓の初めの地であり、このことは「足立区史」にも記載されている。また元宿神社境内にある「感旧碑」には、元宿開拓の歴史も刻まれている。翌昭和7年(1932)10月1日、市郡併合があり、南足立郡の3町7ヶ村が合併、足立区が誕生した。そして「千住元町」ができたのである。

◇戦前から戦後へ

昭和7年、千住元町ができてから従来から存在していた、共治会、益友会、昭和会は解散して「元町町会」となった。昭和15年(1940)内務省訓令で、町会隣組(となりぐみ)制度ができて、生活物資がつぎつぎと配給制になるなかで、町会・隣組が配給制度を分担し、戦時中の統制経済を底から支えて来た。

昭和20年(1945)8月15日、わが国は大東亜戦争敗北終戦を迎えた。占領軍GHQの命令で、町会は廃止されることになり、「元町衛生組合」として町内親睦・衛生思想の普及をはかってきた。

残念ながら、当時の記録は残っていないが、衛生組合のちに発展的に元町町会をつくり上げた先輩は、千川治、遠藤虎次郎、岡田繁次郎、川合癸一郎、子安重勝、竹本信一、大野松太郎等々の諸氏であった。

昭和21年(1946)7月、ささやかな平屋建ての町会事務所ができて、昭和46年(1971)現在の町会会館に改築されるまで、町内の中心として活用されてきた。事務所新築の辞は、町会長遠藤虎次郎の記述で木額として保存されている。

◇新・元町町会の誕生

従来から元町町会は、政見の異なるものの対立が激しかった。例えば、足立区議会議員の選出でも、大町会であるのに、一期ごとに対立候補が出て落選、空白がでたような状態であった。昭和7~11年は中野利三郎、昭和22~26年は疋田伝八、昭和30~34年は遠藤虎次郎、昭和38年になって藤木ニ幸がやっと40年続いて在職したが、それまでは他町の草刈り場の状況でもあった。

戦後の「元町町会」も混乱をつづけ、総会も役員の選出をめぐっては怒号に終始したという。

昭和27年(1952)汲み取り手数料の還元をめぐって「元町婦人の会(会長 広瀬キサ)」の内部で対立が起こり「元町明朗化懇談会(会長 石井松造)」の主張どおり、区内では始めての「会員の一般投票による役員選出」が行われることになった。

これは当時の町会長、千川治の大英断であった。昭和31年(1956)4月1日、新規約も整備され、「新・元町町会」が発足した。今年が満50年にあたるのは、この故である。

◇50年間のできごと

50年間にわたる主な出来事を記述する。

町民の親睦、団結が第一と考えた当初は、町会運動会、親睦ハイキングなど会員全体が参加できるよう心がけた。開校したばかりの元宿小学校の校庭で、お化け煙突のもと運動会が開かれた。とくに呼びものは、仮装行列で、各部ごとに趣向をこらし、一ヶ月も前から秘密裏に準備をこらした。この運動会は、のちに第五地区町会連合会に発展したが、根源は元町町会であった。(町会長 大野松太郎・石井松造)

盆踊り大会を9~10部の大通りで開いた。昭和60年に歩道ができ、里帰り桜が植樹され、元町児童遊園にうつった。(町会長 神戸久平・田口栄一)

ちなみに元町児童遊園は、靴工場跡であったが、陳情によって区が買収した。(町会長 保坂昭三・山岸金太郎)

今でこそ火葬場が斎場をかねているが、20年前は葬儀が自宅で行われていた。いちはやく町会会館を葬場に提供し、アパート、狭い世帯によろこばれた。(町会長 佐野勝郎)

発足当初は、水害により元町は床上浸水することが多かった。4昭和37年(1962)には汲取料を町会が集金、6%の手数料と納金差額が、年間30万円にもなり、「汲み取り特別会計」を新設。のち下水道普及とともに廃止した。(町会長 神戸久平)

私道が多いため、区内で一ばん多い町会所有の外灯があり、裸電球を5ケ年計画で、蛍光灯に変更した。(町会長 藤木二幸)

昭和46年(1971)、町会会館を新築した。従来平屋であったが2階建て、延べ27坪3合、総工費380万円余、不足分180万円は町会員より3年間無利子で借り入れた。協賛会長石井松造。(町会長 神戸久平)

町会旗がなかったので、新調した。昭和57年(1982)7月3日元宿神社で入魂した。制作者橋本一幸氏。調製費28万円。(町会長 鷲尾政治)

月一回リサイクル運動を開始した。町会費は昭和42年以来、一度も値上げせず、近隣町会では最も安いので、その補充となった。平成18年9月現在の貯蓄高は、1,624,982円に達した。(町会長 藤木二幸・須永道義・加藤貞司)

(文中、町内の方は敬称略)

藤木ニ幸記