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古石場の起源

古石場は、越中島の東南にあって、新古石場と旧古石場とこ区になっていた。此の地は、音大田道潅が城を築く時、伊豆方面から右を舟で運搬してこの地におろし、加工して再び舟で運搬して築城したと伝えられている。

それまでは永代島の一部であったが、石の加工をするようになってから、誰いうとなく右置場というようになり、のちに古石場という地名に変わったと思われる。

その当時、道樺山からは白浜が続き、満潮時でも一尺(約30cm)くらいしか水がなく、引潮になれば品川沖まで砂浜となり、重い石を築城地まで運搬する事は田難であった為に、この地あたりが一番適当な地であったと思われる。

その当時の石場は東京湾に面して、補波の水くぐる鴨が白浜を一層美しくえがき出し、蛤り貝を拾う潮干狩りの客が数多くきて、遊山地として江戸市民に親しまれ、喜ばれた土地柄であった。

浜辺に海女の網干す姿、雪のタベなどは青い空、青い梅原と白い雪とが鮮やかな色彩を見せて景色のよい所と通人達が喜び、神田、日本橋、銀座、新橋、その他諸国から遊び客が多くきて大変に賑やかな土地に発展した様であった。

現在の古石場の南に。防波堤が高く築かれて、その土堤に杖の木が植えられて、その数300本余あったとのことである。4月の花見頃ともなれば花見客で大変賑やかであったのではないかと推測される元録年間の地名は永代大島八番古石場町と言われていたよ永代大島八番古石場町と言われていたようである。
(昭和46年4月 故渡辺徳一殿記述)

 追 記

 昭和44年(1969年)4月1日、それまで深川古石場3丁目と称されていた町名が、住居表示制度の実施により、古石場2丁目と改称された。

(出典「江東の昭和史 江東区編)